2010年 08月 07日
実は初めてでした |
Y谷です。
昨日は、原爆の日。記念式典に行って来ました。
いつもなら、生協の平和行事は5日で一区切りすることもあり、6日は通勤の途中に車を止めて黙とうするのですが、今年は国連の事務総長が来るということで、雰囲気を感じ取るため、平和公園に行くことにしました。
8時15分。一斉に黙とうしました。
65年前の同時刻、一瞬のうちに消えてなくなった場所に立っていると思うと、今まで、数々の取材で被爆者に聞かせていただいたお話が次々と思い出され、たまらなくなってしまいました。
・聞こえるのはウジ虫がざわざわと動く音だけだった
・目の玉が飛び出ている人がたくさんいた
・親友が「私のぶんまで生きて」と言って死んでいった
・私だけ生き残っていることに罪悪感を感じる
・直前までは普通に生活していたのに・・・
・戦後も被爆者は差別された
お聞きしたことを伝える仕事、「広報」の役割を一層強く感じました。
▲国連事務総長のパンギムンさん。国連の事務総長としては、初めて出席をされたそうです。
昨日は、原爆の日。記念式典に行って来ました。
いつもなら、生協の平和行事は5日で一区切りすることもあり、6日は通勤の途中に車を止めて黙とうするのですが、今年は国連の事務総長が来るということで、雰囲気を感じ取るため、平和公園に行くことにしました。
8時15分。一斉に黙とうしました。
65年前の同時刻、一瞬のうちに消えてなくなった場所に立っていると思うと、今まで、数々の取材で被爆者に聞かせていただいたお話が次々と思い出され、たまらなくなってしまいました。
・聞こえるのはウジ虫がざわざわと動く音だけだった
・目の玉が飛び出ている人がたくさんいた
・親友が「私のぶんまで生きて」と言って死んでいった
・私だけ生き残っていることに罪悪感を感じる
・直前までは普通に生活していたのに・・・
・戦後も被爆者は差別された
お聞きしたことを伝える仕事、「広報」の役割を一層強く感じました。
by hcoop_koho
| 2010-08-07 12:10
| 雑感